酔眼漂流記

酒を片手に酔眼化する日々の記録


2005-09-19[月] 奥泉光 [長年日記]

▶︎ [読書][奥泉光]モーダルな事象

うだつのあがらない短大助教授の桑潟幸一(桑幸)は、ひょんなことから無名の童話作家溝口俊平の遺稿と出逢う。桑幸がこれを世間に発表すると反響を呼び、出版すれば大ベストセラーに。しかし、担当の編集者の首なし死体が発見されると桑幸の身にも不可解な出来事が。 フリーのライターの北川アキは元夫の諸橋倫敦とともに事件に首を突っ込むのだが……。

奥泉作品で読んだことのあるのは『グランド・ミステリー』と『ノヴァーリスの引用』です。それに比べるば真っ当なミステリに仕上がっています。まぁ、「一応」という言葉が続きますけど。

本作でも、虚構と現実をフラフラと彷徨う展開は、とても不安な気分にさせられます。自分の立っている場所が何処だか分からなくなる感覚でしょうか。桑幸の体験する出来事は彼の夢なのか、彼自身が実際に過去へと飛んで経験しているのか判別できないのです。何が本当のことなのか混沌とする世界。

怖い夢を見たんだけど内容が少しも思い出せないもどかしさ。結末は知っているはずなのに、何も判らないという焦燥感。なんだかイヤーな感じなのです。はっきりと細部まで「見える」描写なのに肝心なところは語らない。想像力が駆り立てられて怖い怖い。

それでも、桑幸の憎めないキャラクターと全体を包むユーモアによって、前に読んだもの程息苦しさはありません。最初はかなりくだけた感じで戸惑いました。こういうのも持ち味なんですね。

そしてホラーのようなSFのような桑幸のパートと表裏一体なのが、北川アキと諸橋倫敦の自称元夫婦刑事(ほんとの刑事じゃないけれど)のパート。ミステリとしての骨格はこちらが担っています。面白いのはこのふたりは直接事件に介入しないという点。

ミステリ好きの倫敦の台詞。

要するに今度の事件を一個のテクストと見なし、これを読み込んでいこうとするわけだから、小説を読むのと本質は変わらないんじゃないかな。

「現実」の事件をミステリ小説として「読む」という訳なのです。お互いのパートはほとんど接点がなく、元夫婦刑事はごく普通のトラベルミステリ風なので、一層桑幸のパートが「現実」の出来事に思えなくなってきます。虚構と現実をさまよう浮遊感を味わえるのですね。二つの全く違う話を読んでいるようで、しっかりミックスされている不思議な味わい。

殺人事件の決着は付くものの、事件の真相が語られるのは、桑幸のパートの方なのです。これがくせ者。そこで語られることは本当のことなのでしょうか? どれが、何処までが現実なのでしょう。ああ、結局最後はまた惑わされてしまうのです。やはり普通にミステリとして読むとキケンかも。

余談その1。溝口俊平の遺稿が、その内容にかかわらず、何故か売れてしまってベストセラーになるってのは、ある意味昨今の出版界への著者の皮肉なんでしょうか。

余談その2。何故だか井上ひさしの『吉里吉里人』を連想。勝手に桑幸が古橋のイメージに重なってしまって。


モーダルな事象 (奥泉光/文藝春秋本格ミステリ・マスターズ)