酔眼漂流記

酒を片手に酔眼化する日々の記録


2011-05-06[金] 福島第一原発から帰ってきた男 [長年日記]

▶︎ 久しぶりに6人集まる

去年の忘年会以来の、親しい仲間たちの飲み会。K一が、転勤するということで集まることになった今宵の宴だが、O山のメールによりどちらかといえば彼がメインという趣に。

8時に駅集合。K一は会社の送別会が終わり次第来るということで、まずは5人で。店は、前に一度行ったことのある鳥料理の店へ。メニューを見るとユッケがある。最近の話題といえば、某焼肉店でユッケが原因の食中毒で人が亡くなったこと。牛と違って、鶏の生肉は大丈夫ってことなのか。まぁ、誰も注文しなかったが。

乾杯も終わりさっそく、福島第一原発から帰ってきた男、O山の話を聞く。今までニュースなどで断片的に知っていたことを、知り合いの口からじかに聞いて、改めてリアルさを感じる。現場では、爆発の影響が大きいそうだ。彼の仕事も、言ってみれば爆発によって生じた被害の修復作業みたいなものの。水素爆発を起こさなければ、もう少し事態は違ったものになっていたのか。

瓦礫には、絶対触るなというお達しだったという。彼は一度、地面に膝をついてしまったらしいいのだが、作業後の測定チェックでは膝の部分で線量計(?)のメーターが振り切れたとか。作業ズボンは没収されたと。一回の作業時間は一時間半。1日二回の作業。彼自身およそ10日ほどで6ミリシーベルトの被爆量だったそうだ。それがどういう数値なのかはさっぱりわからないが。6月頃に原子炉を覆う作業があるそうなんだが、それには呼ばれないかもなぁ、と言っていたが。

オレ個人的に興味があったのが、74式戦車。瓦礫の撤去に使うと言っていたが、あまり活用されなかったよう。今はJヴィレッジに居た、と言ってたかな。2台。

マスクが大変だとも言っていた。きつく装着すると、頭が痛くなってくるんだとか。最後の方は、もういい加減になってきた、なんて笑っていたが。

彼の話を聞く限り、第一原発内は、皆さん割とたんたんと作業に携わっているようだ。ただ、彼の場合はいわき市内から通いで行っていたが、原発内で泊まり込んでいる人は大変のようだ。免震棟の廊下で寝ていたり、食事もソーセージやカンパン、レトルトカレー註1。たくさんの千羽鶴と寄せ書きが印象的だったとも。

自分の友人が、この渦中の原発に関わるなんて思いもしなかった。改めて他人ごとの事故ではない。一刻も早い事態の収束を願うが、それ以上に願うのは作業に携わる方々の安全である。

ちなみに以上のことはオレの覚えている範囲内のことなので、間違ったことがあれば、それはオレの記憶違い、ということです。

燻製いろいろその後、本来の主賓であるK一がやってきたので河岸を変えることに。この時点でO里は別件の飲み会があるとかでお別れ。二次会は前から気になっていた店に行く。なかなか良さげな店だったが、我ら怪しいおじさんたちには、こじゃれた感じでちょっと場違いだったか。酔っ払うために行く店ではなかった。やはり我々には猥雑な大衆居酒屋が似合うのである。

その後締めのラーメンを食ってお開き。

註1 衣料関係は豊富にあるとのことで、下着から靴下から使いたい放題らしい