酔眼漂流記

夜毎酔眼化しつつカメラ片手に未だ人生を漂流する人の記録。

Kyotographie 2024 川内倫子と潮田登久子

川内倫子と潮田登久子の2人の写真家による対話的プログラム。大雑把に言えば、家族写真のスナップと言うことになるのか。これも事前に興味があったプログラムの一つ。京都市京セラ美術館にて。カメラはK-3 iiiにFA 31mm Limited。

潮田登久子「冷蔵庫+マイハズバンド」

ICE BOX

会場はまず潮田さんのコーナーから始まる。入ってすぐ目の前に現れるのは冷蔵庫。

親族や知人、友人らの冷蔵庫を20年におよび撮影した、言わば冷蔵庫のポートレートだ。

考えてみると、よそ様の冷蔵庫の中を見る機会なんてのはあまり無い。冷蔵庫がその家庭を表す、なんて言うのは大袈裟かもしれない。それでも、家庭の持つ個性の一つだろう。綺麗に整頓されたもの、乱雑なもの。何も入ってないものがあったりして、一つ一つ丹念に見ていくと、これが実に面白い。色々勝手に想像が膨らむ。それは事実しか写さない写真の持つ面白さだろう。

My Husband

後半は、潮田さんの夫や娘さんを写した写真展。

なんの変哲もない家族写真、と言って仕舞えばそれまでだが、ここに展示された写真はどれも暖かい。そして、自分の昔の記憶も揺らす。それは自分にとっての過去でもあるからだ。

一緒に思い出の品々も展示されている。今となってはガラクタだけれど、記憶のカケラでもある。自分が知ってる物や持っていた物もあって、これも遠い記憶の琴線に触れる。

川内倫子「Cui Cui + as it is」

奥に進むと川内さんのコーナー。

祖父の死や、兄夫婦の甥の誕生などがテーマとなった〈Cui Cui〉と子育ての中で出会った子どもの姿や身近な風景をとらえた〈as it is〉のシリーズの二本立て。

Cui Cui

とてもシンプルな展示。そこに写し出されいるのは家族の記録。なんだか知人のアルバムを見ているような感覚。どれも形は違えども、自分の中にある風景でもある。それが懐かしさを呼び起こす。身近なものの日々の風景を記録していくこと。これが写真の本来ある姿なんじゃないかな、と思ったり。

as it is

こんなに魅せられるのはなぜなんだろう。撮影者の想いが伝わってくるからか。写真なんてシャッターを押せば撮れてしまうけれど。何故それを撮ろうとと思ったのか。そこにどれだけ想いを込められるか。そして、誰かにその想いが伝わるような一枚が撮れればいいなぁ。

写真もとても素敵だったけれど、映像作品が素晴らしかった。生まれてから成長していく姿を眺めているのは、もうそれだけで心安らぐんだけれど。それだけではない何か。あんまりベタベタしてないからかな。さっきは想いが伝わってくると言ったけれど、この映像作品は一歩引いて撮っている、ように感じた。淡々と事実を写し込んでいるというか。全く勝手な解釈ではあるんだけど。