小千谷 慈眼寺
随分と間が空いてしまったけれど。旅の二日目。
初日はこちら。
この日は小千谷を訪れた。ここは新政府軍と長岡藩との交渉が行われた地だ。
かつては賑わっていただろう通りも、今は寂しい。日本が豊かになったのも束の間で、今はこうしてゆっくり衰退していくばかりか。豊かさとはなんなのか、なんてことをちょっと思ったり。
激戦地だった朝日山、榎峠方面を望む。この眺めは当時とそう変わっていないだろう。
ここ慈眼寺で河合継之助は新政府軍の代表岩村精一郎と対面した。
今でも、その時の会見の間が残されている。もっとも、2004年の新潟県中越地震のため建物が全壊。その後柱など残ったものを使って修復されている。完全に当時のまま、というわけじゃないのが少しだけ残念。
この時の談判は決裂。新政府にも旧幕府側にも属さず武装中立を願う長岡藩の願いは聞き入れられず、新政府軍との戦闘に突入することになる。
司馬遼太郎の「峠」では、継之助はきわどい夢をみていたと言う。
「きわどい夢というのは、日本中が大火事になっているときに、こんな小藩だけが自分勝手な国を作れるかどうか。そのきわどさに継之助は自分の夢を賭けていたのだ」
継之助の選択は、正しかったのだろうか。結果論で言えば、結局のところ彼の夢のため長岡藩は滅んだ。
あとがきの中で、司馬遼太郎はこう述べている。
ここで官軍に降伏する手もあるであろう。降伏すれば藩が保たれ、それによってかれの政治的理想を遂げることができたかもしれない。が、継之助はそれを選ばなかった。ためらいもなく正義を選んだ。
その彼の生き方に惹かれて、今こうして長岡にやってきている。