ここ最近の自分にとっての春の恒例イベントである KYOTO GRAPHIE を観に京都へ来た。まずは、八竹庵へ。
ここでは2つのプログラムが展示されている。
The Logic of Truth
パレスチナ系アメリカ人の写真家、アダム・ルハナのレンズを通して、パレスチナに対する新たな視点を提示し、主要メディアによって描き出されるパレスチナ像とは異なるイメージの領域へと踏み込みます
ニュースではよく聞くパレスチナ問題。ぼんやりと紛争地域という認識しかない。
ここに展示されている写真は、パレスチナの人々の日常を写したものだ。勝手に想像していたのとは違う世界。確かにそこはメディアによって与えられたイメージによるものなんだよね。でも、この一見平和な光景の裏側に血生臭い現実があるのも確か。
自分にどうかできる問題じゃないが、やはり知るということは大切なことだ。
リトル・ボーイ
こちらは写真2枚が展示されているだけのシンプルな構成。「リトル・ボーイ」とは、広島で使われた原爆のことだ。
今年で80年の月日が経った。今の世界。色々考えされられる。
ここは撮影不可だった。
Dressing Up: Pushpamala N Mother India, Avega ~ The Passion and The Arrival of Vasco da Gama
次に訪れたのは、京都文化博物館。
ごめんなさい、正直ここはよくわからなかった。元ネタ、と言うか背景をちゃんとわかっていないとダメかも。
なんだか、
本人術 | 南 伸坊 |【東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)】Tokyo Illustrators Society
これを思い出させた。
The Anonymous Project presents Being There
次は嶋䑓ギャラリーへ。
1950から60年代にアメリカで撮られたスナップ。そこにアーティストのディオプを合成している。現代の技術を持ってすれば全く違和感なく合成が可能で、どれもなんの変哲もないスナップだ。だがそこに潜む違和感。それはディオプが黒人であること。そして撮影された年代。この時代、人種問題の真っ只中。ここにある写真は本来白人だけで、黒人が一緒ににこやかに写っている状況はありえなかった。
不思議なもので、その時代を知らない自分でも違和感は感じる。当時の写真を使っているからで、今の写真を使っても当然そんなことはないんだろうなぁ。時代の空気も写し込む、写真の力の成せる技なのかもしれない。
The Heartwork of Kyoto Journal
こちらは、メインのプログラムではないんだけれど。『KyotoJournal』と言う40年近く続いている雑誌にまつわる展示。日本で最も長く続く英文誌らしい。