酔眼漂流記

夜毎酔眼化しつつカメラ片手に未だ人生を漂流する人の記録。

海へと続くトンネル

小田原駅から、15分ほど歩けば相模湾の潮騒が、家々の隙間からふわりと届き始める。そこはもう海だ。

この海岸沿いには、西湘バイパスが走っている。その重厚な高架下をくぐり抜けるトンネルが、海へと続く入り口のようにいくつか点在している。
コンクリートの四角い空洞が、向こう側の青い世界をきれいに切り取っていて、それが額縁に入った絵画のようだといって、最近は若い人たちがよく訪れるらしい。

トンネルの中へ一歩踏み込むと、ひんやりとした空気が肌をなでる。
歩を進めるにつれ、視界の先で空と海の青がじわじわと混ざり合い、深いグラデーションとなって広がっていく。こちらの胸の奥にまで静かに染み渡ってくるような、そんな心持ちがした。

名所とはいっても、平日ゆえか人影はまばらだ。
私は肩にかけたPENTAX K-1 IIの重みを確かめながら、ゆっくりとファインダーを覗く。
風景というものは、ただそれだけで完結しているものだが、時折、そこに誰かの影が落ちている方が、かえってその場所の静けさを深く語ることがある。

ふと、後ろから静かな足音が聞こえてきた。
振り返ると、黒い革ジャンにロングブーツを履いた、一人の女性が立っていた。
どこか遠くからバイクを走らせてきたのだろうか。その佇まいには、他者を拒絶するような鋭さではなく、一人でいることを深く受け入れた「孤高」の静謐さが漂っていた。凛として、美しい人だった。

彼女はトンネルの出口に立ち、しばらくの間、何も言わずに水平線を見つめていた。
私は、その光景のあまりの切なさに、思わず声をかけてしまった。
「写真を撮らせていただけませんか」
彼女はゆっくりとこちらに視線を戻すと、真っ直ぐに私を見つめ返した。意外なほどの鋭い視線に少したじろいだ。しかし視線の先は、私を見ていると言うよりも、遠い時間の流れを辿っているかのようだった。その瞳は海の色を反射して青く光ったように見えた。

「……私は、きっと写真には写らないと思う」
そう言って、うつむいた彼女の肩が小さく震えていた。微かに笑っているのだ。でも、その肩のあたりに、言葉にならない寂しさが、冬のひだまりのように揺れていた…。

もちろん、そんな映画のような一幕が、そう易々と日常に転がっているはずもない。
私の古ぼけた脳裏に浮かんだ、ささやかな幻想だ。

それでも、トンネルの向こうに立ち尽くしていた彼女の姿は、この上なく美しい風景の一部だった。私はその「絵」を壊さないよう、そっとシャッターを切った。